平成19年5月30日

 

建築生産システムと法制度

 

弁護士  竹川忠芳 

 

 

1、はじめに

(1) 平成17年11月に姉歯建築士による耐震強度偽装事件が発覚し、これを機に建築確認制度に問題のあることが広く知られるようになって来た。しかし、どこに、どのような問題点が存在するのかについては、極めて皮相的な議論がされるだけで、本質的な議論がされずに来ているようで残念でならない。

例えば、単純な手口で偽装された構造計算書により、実に簡単に建築確認が下りていることから、国交省はその防止に躍起となり、構造計算適合性判定機関を置くなど建築確認制度が尻抜けとならないよう、その拡充策へと走り、今般、建築基準法やら建築士法の改正を行っている。

(2) しかし、これはもともとこの制度が抱えている本質が、その時代に合わなくなったが故に、偶々、表出した悪現象にすぎない。目の前に現れる悪現象にだけ振り回されて、問題の本質を見ずに対処することは、無駄な努力を永遠に繰り返すことになりかねず、社会的コストの損失の方が大きい。

また、建築確認制度を拡充してみても、(建築基準法は最低の規準を定めるだけであるから)最低基準の建物が現出するだけでしかない。これまた、100年住宅、200年住宅といった、持続可能な社会を目指す立場から見たとき、正しい対処法とは言えない。

その上、現行制度上は、建築基準法に従った建物を作るのは建築士の義務とされている。さらには、これを確認するために建築主事等(確認検査機関)も控えている。そこに屋上屋を架する形で、検査の数を増やしたり、構造計算適合性判定機関やらを置くのは関係する者の数を増やすだけで、かえって責任の所在を不明確にするだけでしかなく、無責任状況を助長しかねない。

(3) こんなとき、ふと思い出すのが学生時代に読んだエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」である。大衆は自由を求めるも、かえってその孤独と責任という重圧に耐えかねて、規制を求めるようになる、といったまさに現在の日本の状況を指しているような話である。

むしろ我々が求めるのは、がんじがらめの規制ではなく、真に「自由」を求めるのでなければならず、それには自立することが必要であり、責任主義に裏打ちされた建築生産の制度設計がされねばならないと思う。

そこで、戦後の建物の生産システムはどのような設計思想に立ったものだったのか、それは、「責任」についてどのように考えていたのかを、以下で検討してみたいと思う。

 

2、戦後の建物の生産供給システム

(1) 日本における、戦後から今日までの建物の生産供給のシステムは、資本主義の市場原理に従ったものではなく、日本型社会主義システムで運営されてきたところに特徴があったと言える。

そして、住宅市場がこのように日本型社会主義システムに守られていたため、効率良く大量の住宅を生産供給していくことが可能となり、これだけの繁栄した社会を築き上げることが出来たと言える。この意味では大成功であったと言っても過言ではない。しかし、反面では、高品質の建物を生産することには誠に不向きな制度であったと言えよう。このことが、今になってみると、耐震偽装事件という「鬼子」を生み出してしまったのではなかろうかと感じている。

以下で説明してみよう。

 

(2) 日本の戦後の戦災復興の過程から、検討してみたいと思う。

日本は戦争を経て、国土全体が焼け野原と化してしまった。昭和20年8月の住宅不足数は420万戸にものぼるとの資料がある。従って、戦後は住宅の確保やらインフラの整備が最重要課題となり、昭和20年11月には戦災復興院を立ち上げている。しかし、それでは間に合わず、強力な機関によって復興、建設事業の完遂や国土計画の企画実施を行う必要があると考えられ、昭和23年に建設省が設立されている。つまり、建設省の役割は住宅の供給面に関する限り、量の拡大化が最大の使命であり、当時は質の問題よりも国民の住を満たすだけの住宅の数を早急に量産せねばならない時代でもあったと言える。このことをまず確認しておくことが重要である。

この時代をもう少し見てみよう。終戦直後には公的で応急的な住宅対策がいくつも試みられたが、住宅難の解消は遅々として進まない状況にあった。そこで考え出されたのが民間の建設部門の積極的活用である。そのため、昭和25年に住宅金融公庫を設立し、さらには昭和30年代後半からは民間銀行にも住宅ローンを認めることで、民間の建設意欲の促進を図ろうとした。これがいわゆる持ち家政策の始まりである。こうして、昭和25年には鳩山内閣が住宅建設10カ年計画を策定し、昭和30年当初における全国の住宅不足数を約770万戸と推定して、これを10カ年で解消するとの公約を行った。その後の石橋内閣にあっても、昭和32年から5カ年で住宅事情を安定化するとの住宅建設5カ年計画を策定しているし、昭和35年に成立した池田内閣では国民所得倍増計画を決定して、昭和45年から10カ年で1000万戸の住宅を建設するとの計画を策定するなど、当時の政府はいずれも不足する住宅数をどのように量的に拡充するかに腐心していたと言える。

 

(3) この時期に、効率的に住宅を数多く建設するために考え出された、もう一つの制度が、建築基準法(昭25)と建築士法(昭25)と建設業法(昭24)による建物の量産化体制であったと言える。

つまり、この時期は戦前に対する反省から「自由」を格別に尊重する時代であり、建築自由の原則が大前提であった。その時代にあっては、建物の量産化を目ざし、かつ民間の建設意欲を削がないためには、建築を許可制とするわけにはいかなかった。しかし、全く自由気儘に建築させては建物の品質の確保が出来ない可能性があり、そこで、建築基準法を制定して、許可ではなく法令適合性のみを判断させる、いわゆる建築確認の制度を導入したわけであった(しかも、建築確認とは法令適合性のみの審査であるから、確認のための期間はごく短期に制限することが出来、建築自由の原則と調和させた制度を作り上げることが出来たわけである。)。

ただ建築の品質に関する事項を全て法令に記載させて、建築確認段階でチェックさせることは非現実的であったため、最低限守る必要のある事項に限り法定することとし、これを建築主事にチェックさせることにした。もっともこのとき同時に導入された建築士制度を活用することで、この建築主事によるチェックは念のためにする程度のものとしか考えられておらず、むしろ建築確認制度というのはこれが全国一律に実施されることに意義があり、建築計画の段階で最低限守るべき建築の技術基準を全国に広報する目的の方が強かったというのが実際であった。

そして、この建築計画はこれを資格ある建築士にやらせることで、少なくとも法令に適合する建築確認申請が自主的に行われるとの前提に立ち、さらには建築士の数が増えて活躍することで、もっと高品質の建物が設計されることを期待して建築士法を制定したわけである。

また、その施工にあたっては建設業法を定めて、専門技術者等の配置を義務付けたり、免許制度(当初は登録制で、後に許可制をとる)を適切に運用するなどして、建物の品質確保が期待できる建設業者を選定し、これに施工させることで、高品質の建物が建築されることを期待したわけである。

つまり、この制度の特徴は「施主」が建物の建築や維持管理、品質確保の責任を負担すると宣言して重要な役割を担わせると共に、この施主を建築士と建設業者が補佐することで、(国家的には量的拡大だけを目指す政策を推進したとしても)建物の所有者であり使用者である「施主」は自ずと高品質の建物を建築しようとするであろうし、建物の維持管理に万全を期するであろうから、これを専門家が補佐すれば、自ずと希望に応じた品質の建物が建築され維持管理された社会が実現していくはずである、との期待をこめた制度であったと言える。

従って、建物を建築して世に作り出し、これを維持・管理するのは「施主」の責任であり、この建物の設計・監理の瑕疵については建築士に責任があり、建物の施工の瑕疵については建設業者に責任があると考えていた。建築確認制度は最低基準を全国的に広報する程度の役割しかなく、徐々に建築士の数が増えれば最低基準が問題となることはなく、もっと高品質の建物が増えてくるため、建築基準法の役割は大きくはならないと考えていた制度であった(その意味では、建築主事の役割は単体規定の確保にあるのではなくて、集団規定の方に力点があったのではないかと推測している)。

 

3、戦後システムの破綻

(1) ところが、時代が進むに従って、これら住宅の量産化に向けた制度には綻びが生じ始めるのであった。

例えば、住宅金融公庫や民間銀行による住宅ローン制度を創設することにより民間の建設意欲の促進をはかろうとしたわけだが、住宅供給側の建設意欲の促進策に偏りすぎたシステムになってしまったため、建設業者は建物を作りさえすれば良く、建物の品質を競い合う必要のない制度と化してしまった。

即ち、本来住宅ローンの設定にあたっては、建物の品質を査定して適正価格を融資する制度でなければならない(例えばノンリコースローン)ところ、そうではなく、建物を建設するや、その建設費に利潤を上乗せして売買価格を決めれば、政府の持ち家政策によりローンが組まれる制度となってしまった(これゆえに購入できる人の信用のみをあてにして住宅ローンが組まれるようにしてしまった)ため、作り手は建物の品質に対する関心よりは、所得の高い購買層の関心を引くことに照準を合わせた、いわば販売戦略(広告宣伝)にばかり関心を抱くようになっていったわけである。

つまり、時の政府により持ち家政策が強力に押し進められ、計画的に住宅の量産化を目ざしたがため、毎年、目標数の住宅を民間の会社が建設すればローン付で売却できることになったわけである。しかも、昭和41年には住宅建設計画法が制定されて、(ソ連の社会主義国家のように)5か年計画で住宅の量産計画を行なうことが国家的プロジェクトにまで昇格したため、この傾向がより一層促進されていったわけである。

他方で、持ち家政策の影響を受けて、もともと建設業ではなかった他業種の者が建設業界に多数参入してきた。ことここに至って、建設業者となるのは町の大工ではなく、大量の住宅を建設するだけの資金を調達できる「優良会社」となり、町の大工はこの下請けとなることで、いわゆる元下請構造が定着してしまったわけである。

これらが互いに作用し合って、建物が品質競争により売却されるのではなく、宣伝力で売るだけの世界が出来上がってしまったわけである。つまり、建物の品質とは関係なく、購買層さえ見つければ、そして、この客層が買える値段の建物が作られれば、すぐにでも売れる時代が到来したわけである。

 

(2) 次に、建築基準法と建築士法と建設業法による建物の量産化体制の場面でも変化が表れた。

この制度設計で予想した「施主」は前述したように自分が所有し使用する立場の者を想定していたため、当然に自ら高品質の建物を欲するであろうとの前提に立っていた。ところが、政府の持ち家政策や日本経済の高度成長を経る中で、「施主」像は大きく変化し、自分のために建物を建てるのではなく、他へ販売するためだけに建物を建てる、いわゆるハウスメーカー、デベロッパーという業種を生み出した。

このような新しい「施主」は自らが永続して所有し使用する立場にあるわけではないため、必ずしも「品質の良い建物」「長寿命の建物」を生み出すインセンティブに欠けていた。しかも、消費者が飛びつくような「商品としての建物」の生産に走りがちで、見た目の華美さばかりに金をかけたり、短寿命の設備機器類に金をかけ、完成してしまうと目には見えない住宅としての重要な部分とか、長寿命のための材料費とかにはお金をかけなくてもよいと考える傾向になりがちであった。

このような「施主」を中心として、その補佐役実行役に建築士と建設業者が配備されることを前提とする現行の法制度下では、専門家がこの「施主」の考え方を極端なまでに押し進めてしまい、その結果、経済設計・経済施工に走って、いわゆる姉歯事件(耐震偽装事件)へと発展していったというのが実際のところではなかったろうか。

この意味では、この耐震偽装事件(姉歯事件)というのは戦後の建築生産体制が抱える制度的な限界なのであって、これら法制度を見直さずにその拡充に腐心したとしても解決される問題ではないと言える。また、建築基準法の役割を大きくすればする程、最低基準の建物しか出来上がらないという、自己矛盾を抱え込むことになると指摘できるのである。

 

(3) そして、このことに拍車をかけたのが、「節税商品としての建物」の登場である。例えば、節税目的でアパートを建てるとか購入するといった行動様式である。

節税目的で住宅や建物を建築しようとする「施主」は長寿命の建物を求めるインセンティブが全くない。唯一の関心事は減価償却の制度の恩恵に浴すことだけである。これでは建物の高品質化や長寿命化、そして建物の適切な維持管理がはかられるはずはないと言える。

このように「建物」「住宅」を償却資産と位置づけることには、非常に問題が多いと言える。

償却資産とは企業会計の原理から導き出された考え方であり、「建物」を消費財の一つと考えて、何年か使うと価値が減ぜられ、最終的には価値がほとんどなくなるという考え方である。しかし、「建物」は所有者個人からみても土地と同様に重要な個人資産であると共に、国家社会からみても重要な国富の一つである。これを償却資産と位置づけるのは大きな間違いである。

このように償却資産と位置づけたとき、建物は長持ちしない建て方でよいとの暗黙の合意が成り立つ。作る側でも、償却期間だけ使えればよいのであって、目に見えない部分にお金をかけて丈夫に作ったところで、価格が高くなるだけであって意味はないと考えるし、建物の保存のためのアフターケアを考えた作り方をしない。また、買う側も、見た目がよく最新設備が整っていることが重要であって、長い間使えるか否かには関心がなくなるといった副作用を生み出してしまったと言える。

 

(4) こうして、戦後、住宅不足を解消するために作り出された住宅ローンの制度や住宅建設5ヵ年計画、さらには建築基準法、建築士法、建設業法による住宅の量的拡大のための法律制度は、住宅不足の解消という戦後に直面した課題を解決するための量的拡大策としてみる限り、大成功であったと言ってもよいかもしれない。しかし、少し見方を変えて、高品質の住宅を作り出したり、建物の適切な維持管理をさせるという意味では、その責任者が誰であるかが不明確になってしまい、それがため誰もこれを実行しようとする者がなく、結果として建築基準法で定める最低基準さえ偽装した、極めて低品質の建物が作られるようになってしまったと言えるのではなかろうか。

ではどうしたらよいであろうか。

国交省は「施主」に期待できないとして、公的関与を積極的に行うべく、建築基準法の拡充策を目ざしたようである。しかし、これは建築基準法をはじめとする戦後の法制度と思想を異にするものであるから、木に竹を接ぐようなもので、誤った方策と言える。しかも、「1、はじめに」で指摘したように、これでは最低基準の建築計画(設計)しか出来上がらないし、施工の手抜きの問題には全く対応が出来ない。また、責任の所在がますます不明確となってしまうことは既述したとおりである。このようなやり方は「泥棒を捕らえて縄を綯う」ようなもので、社会的コストばかりが大きくなって、実効性には期待できないし、仮に実効性があるものになっても最低の建物しかできないことになり、正しい方向とは言えない。

もともと建物の品質を官が決めて、決められた品質の建物を作らせるよう指導するといった官主導のやり方には限界がある。けだし、建物の量産化を計画する場合と異なり、高品質の建築というのは、大前提として対費用効果の問題と裏腹の関係にあるため、むしろ国民各人が必要な品質を求めて、それに相応する費用をかけるというのが正しい解決方法だからである。よって、官がかかわるのは建物の品質の決定ではなく、品質の種類に応じた需給システムの構築ということになるのが正しい発想ではなかろうか。

だとすれば、建築基準法を活用することで、長寿命化、高品質化を目ざすのは誤りというほかない。むしろ、建築基準法の中にある単体規定、即ち、建物の品質に関する規定は簡素化して誰でも容易に判断できる程度に絞り込んで、後は市場の競争社会へと放り込んだ方がよいのではなかろうかと私は考える。もちろん、現状のまま、全てを民間に委ねたら、ハウスメーカー、デベロッパーの方が圧倒的に力が強く、消費者は建物の品質の良否についてほとんど分からないだろうから、それでは市場が正常には機能しない可能性の方が高い。そこで、中間に専門家を配置するやり方を考えてはどうであろうか。今までの制度では、これら「施主」の手足となるのが建築士や建設業者といった専門家であったが、そうではなく、独自に独立した立場で専門家として活躍できる職能分野を新設してはどうであろうか(この職能分野で活躍する者を「建築家」と呼んでみる)。

 

(2) そこで、一つの試案を提供してみたいと思う。例えば、自動車の整備手帳のようなものを住宅と一緒に転々と流通させる制度を創設し、ここに「建築家」を配置する考えである。

まず、デベロッパーであろうとハウスメーカーであろうと、必ず建物を作る際には「建築家」の作成した設計図と見積書を必要とさせる。さらには、変更等を経て竣工した場合、竣工図面とこれに見合う見積書を作成させる。そして、完成建物について「建築家」の性能評価書をつけさせ、性能を確保するための仕様を具体的に記載させる。そして、竣工後100年の維持管理の方法を記載させる。そして、これら一式のものを建築主事に提出して、書類が全て備わっているか否かだけを主事に検討させて、正本を主事が保管する(さらに改築増築に際しても必ず建築家による上記図面や見積書、性能評価書をつけさせる)。これらを一式のものとして、(所有者が変わっても)必ずその住宅に附属するものとして、これら一式のものが建物と共に移動する。

こうすることで、所有しようとする者は、その住宅の基本的な性能と設計意図を理解できるし、分からなければ、第三者機関に相談することでセカンドオピニオンの意見を参考にして購入を考えることが出来る。

こうすることで、市場で適正に建物の品質が評価されることになるし、品質の競争が可能となる。

 

(3) 建築家の育成

ここでいう「建築家」は一級建築士に限るものでなくてよいと思う。今の建築士は専門資格者であるから、これは今まで通りに「補佐役」として活躍してもらえればよい。

むしろ、ここで問題なのは、建物の有する品質情報の公開性にある。今までは建物の品質について誰も説明せず、品質確保を誰も保証しない。ただ、建築基準法に違反すれば「瑕疵」であるとして最低限の品質確保が図られるだけであった。しかし、これからは、これら品質情報を一挙に公開すると共に、市場の競争に委ねようというわけである。そして、この公開される品質情報の瑕疵については「建築家」も(施工業者等と共に)責任を負担することになる。

その意味では、ここでいう「建築家」はゼネコンやデベロッパーとは別の第三者機関でなければならず、この分野の職能団体を作らせる必要があろう。従って「建築家」はゼネコンやデベロッパーのように売買当事者間だけの責任に限られるのではなく、建物自体について誰に対しても責任を負う立場ということになる。こうすれば自ずとこの「建築家」の名声で建物の信用価値が決まるようになっていくのではなかろうか。

もちろん、これら一式のものに瑕疵あれば、その建築家が責任を負担することになるわけだが、倒産して事実上責任を果たせないのでは困るので建築家は必ず保険に加入せねばならない。逆に言えば、保険加入できない建築家は、ここでいう「建築家」とはなれないことになろう。

そして、この保険制度については、建築家の団体が責任をもって作り出すよう努力してはどうか。

なお、在来軸組木造住宅の場合は、公開される品質の基準を誰からみても分かるようにするため、設計図や見積書の書き方について、高い見識にもとづいて、その標準化を実現せねばならない。

そして、建物は非償却資産として扱い、建物の価値は市場での需要と供給によって決まる制度を作ることで、そこに差別化が発生して、建物の品質が価格決定の要因となり、その中で一つの重要なファクターとして長寿命化の問題が自ずと重視されることになろう。

 

(4) 消費者教育

次に改革すべきは消費者の意識の問題である。

もともと民法717条は建物の悪影響により損害を受けた人に対して、建物の所有者(あるいは使用者)が土地工作物責任者として責任を負担せねばならない旨を規定している。つまり、建物所有者(あるいは使用者)は常に建物の品質の良し悪しの責任を最終的にとらされる立場にある。このことを消費者に十分広報して自覚を促す必要がある。そのうえで消費者が建物の品質の良し悪しを検討できる制度を作っていく必要があろう。

さらには、建物の価値が補修や改修によって高まることを市場で証明していく必要がある。それが実現できれば、今後は、建物を所有することは、その維持管理を負担することであるとの認識が強くなるし、積極的に広報活動を通じてこのことに強く関心を持たせる必要がある。そうすれば自ずと目に見えない部分の性能や出来に関心がいくはずである。

 

4、まとめ

以上のように、私は、そろそろ戦後の建物生産供給システムに関する法制度を変更する必要があるのではないかと思う。

例えば、建築基準法は最低基準を定めたにすぎない法律であるから、戦後の時代には必要性があったかもしれないが、今は存在理由に乏しい。特に建物の品質について、目ざすは高品質、長寿命である。最低基準を守らせる法律に期待するのは全くの自己矛盾とも言える。だとすれば、少なくとも単体規定については建築基準法からほとんど削除してしまい、ごくシンプルなものとした方がよいのではなかろうか(集団規定等については、別途都市計画法と一体として許可制に改めるべきであろう。)。

そして、その代替する制度を検討するとき、建物品質は市場で適正に競争させる必要があり、そのためにも新しい職業分野となる「建築家」の育成と、建物の状態、特に維持管理に対する消費者の興味・関心を持たせる教育が大事であると考える。

つまり、「建築家」と建物所有者である消費者が建物に対する責任を負担することを宣言し、この危険を回避するための情報公開を取り入れることで、悪質業者や低品質建物の社会的淘汰を図ることで、責任の所在と建築市場の良質化を目ざすわけである。今まで通りの法制度では、これら悪質業者の淘汰は期待できず、悪質業者による瑕疵を国民全員で負担し合う、単なる共済システムとなっているだけでしかないから、最後は破綻してしまうのではなかろうか。

以 上

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