建築士法の成立過程と今後の課題(要旨)

 

東京大学生産技術研究所 速水清孝

 

1.建築士法に対する建築界の議論と姉歯事件

 建築士法に対する議論は、20世紀の100年を通して、終始、建築家の社会的な地位の向上を目指すこと、そのための設計者の所属の専業性の如何がテーマとなっていた。そのため社会性に乏しかったが、それが20世紀の末に終息を迎え、次なるテーマとして社会性を帯びた問題が登場してきた。姉歯事件はその象徴と言ってよい事件であった。

 

2.必要とされるのは、建築家の法律か? 建築設計者の法律か? (住宅と建築)

 建築家が日本の全ての建築物を設計しているわけではない。広く社会を考えると、建築家が手がけない建物も視野に入れる必要が出てくる。すると、設計者の法制度について、建築家の法律を作りさえすればよいことにはならないことがわかってくる。つまり、建築家に分類されない、より普通の設計者の法律がまず必要となる。

 建築家の法律があって、普通の設計者の法律がない西洋と、その逆となっている日本との差異は、おそらく、一般住宅の捉え方に起因しているのではないか。つまり、建築家がどういった建築物を設計する人かについての社会的なコンセンサスが十分できないうちに、庶民の住宅問題が登場してしまった日本の事情が、日本に西洋的な建築家像の確立を阻んだ面があると言えるだろう。それは日本の建築家にとっては不幸であったが、とはいえ、そうした社会が欲する法律は自ずと西洋とは異なってくるのは自明であろう。

実は、全く知られていなかったことだが、建築家よりはむしろ普通の設計者を規定すべく成立した建築士法について、法を構想した行政が考えていたことを探っていくと、庶民の住宅問題の建築技術面での解決を然るべき技術者に委ねたいという意図が大きく横たわっていたことがわかる。
 そのことが少しでも世に知られていたなら、建築士法に対する議論もだいぶ違うものとなっていたはずで、最近とみに言われる「建築士法は古い法律で現状にそぐわない」という主張も成り立たなくなり、むしろ、法の初心にすら私達はまだたどり着いていないという言い方すらできることになる。

しかしながらそれが、何故全く知られないものとなってしまったかと言えば、庶民住宅をはじめとする小規模建築は一切が法の対象から外れる形で定められてしまったからに他ならない。それは、制度開始時の既得権者への配慮や社会的影響を考慮した結果であり、やむを得ない面もあった。その結果、建築士法に込められようとしていた住宅問題の視点がわかりにくくなった。これは誠に残念というより他ないが、見えにくくなくなりはしたものの、建築士法に託されようとしたこうした理念を思えば、国際化の中で、西洋の建築家の法律と異なるからおかしな法律だと萎縮して考えるのは早計で、逆にどういう発想で作られたものなのかを、世界に伝えていく努力もすべきであろう。

  なお、現行建築士制の問題には、法条文の問題と制度運用の問題がある。にも関わらず、しばしば、「法律を改めれば済む」と考えられがちである。建築士制度の場合、例えば「今何人いるのかすらわからない」といったように、制度として健全な運用がされているのかが疑問に思える面も多い。制度の運用を問う姿勢も必要ではないか。

 

3.建築士法は、設計者の制度か? 建築技術者の制度か? (建築士法と建設業法)

  現在では、建築士法を設計者の資格制度と捉える見方が支配的である。しかしこれは誤りで、正しくは建築技術者全般の資格制度と見るべきものである。

何故なら、法を構想する立場にある戦前の行政は、戦前・戦中・戦後を問わず、建築士法が必要と認識した昭和10年代より以後、一貫して建築士の業務に、設計と施工の別を見ていなかったからである。むしろ建築の業務全てに携わる技術者をすべからく建築士と見ようとしていたのであった。その考え方は、戦後、建築士法の前年、建設業法に施工技術者の制度ができた後でも、そして建築士法の立案にあたっても一貫して流れていた。

しかしながら建築士法は、小規模請負業者への配慮をはじめ、当時のやむを得ない事情から、建築の中心的行為である設計が強調される形で成立する。一方の建設業法に預けられた施工技術者の制度は、建築士とは別に独自の発展をしていく。

こうした結果、時代を経る中で、建築士法はあたかも設計者の制度で、また、建築技術者の法制度は、設計者を規定する建築士法と施工技術者を規定する建設業法の2つからなると捉えられるようになってしまったに過ぎないのである。

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