耐震偽装問題と建築基準法 (寄稿)       平松朝彦    平成21年3月9日

耐震偽装事件で様々の裁判が進みつつあるが一方、それはこの国の根本である憲法の問題に繋がる。

@    憲法13条には「生命・・に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする」また第25条でも「生存権」を保証され、第29条では「財産権」をうたわれている。

憲法は法律の基本であり、それに反する行為、法律は間違いである。

上記の法律による「生命の安全、財産権の不可侵」に対応して建築基準法がつくられている。

A    建築基準法第一条。この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする

B    さらに憲法17条には「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」

今回の耐震偽装の問題はこの3つで解くことができる。憲法で国民の命を守らなければならないとされているために、建築基準法が生まれたのであれば、その規制は国民の生命の安全を保障し財産を地震という災害から守るという目的を果たさないと意味がない

にもかかわらず建築許可とせず、単なる法文との合致を確認しただけの建築基準法はそもそも間違っている。さらに、官、民を問わず建築基準法の確認審査業務においてミスがあれば、憲法に基づき国または公共団体は責任をとらなくてはならない

同時に、国民の建物の安全性について法律で保証するためには、構造基準を示す必要があるが絶対に壊れないという建物をつくることは原理的にも経済的にも困難である。

したがって、憲法の要請を果たすために妥協点を見出す必要がある。その構造基準という法律を守った国民に対してそのレベルが低ければ国家は大地震の被害には多くの賠償をしなくてはならず、レベルが高ければ、少ない賠償ですむと考えるべきだ。

一方、今回の耐震偽装の事件でいえば間違って合法とした行政の責任が一義的に存在し、さらに、偽装した該当設計士、元請け設計士、その他関係者の見破れなかった人の責任については裁判により二義的に決定されれば良いだけである。

そしてさらにその裏にある諸制度に問題があるとすればその制度を改正する必要がある。

いずれにせよマンションの住民には何ら「自己責任」などない。法律は法律を守る人のために存在するはずである。(一橋大斎藤誠教授の自己責任論「リスク社会における自由と責任」は完全な詭弁である。)

様々の関係者の利害関係は対立している。行政側としてその責任を、法律をつくったのではない建築士の責任に転嫁しようとしているようだ。

姉歯建築士はあまりに複雑化した法律と複雑化したマンション設計に対応できず、省力化して偽装を行ったものである。さらに多くの建築審査機関も同様に建築基準法の複雑化、マンションの複雑化に対応できず当時の21日という審査期間でチェックできなかった。

本来、国は建築基準法を簡略化しなくてはならなかった。ところが今回の改正ではさらに複雑化し、様々の世論を利用して建築士などの責任を強化して事件に対応したふりをしただけである。  以上

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