平成17年7月26日

 

住宅基本法についての意()

 

弁護士  竹川忠芳 

 

 

国交省がパブリックコメントを求めて、新たな住宅政策への転換の必要性と、そのための制度的枠組みに関する報告書を発表している。おそらく、この報告書の内容を基に住宅基本法案を立案して、来春の通常国会へと上程する予定ではないかと推察される。

そこで、以下では、この報告書の持つ意義並びに問題点を指摘し、あわせて我々が描いていた建築基本法と何処が異なるのかについて、私見を述べてみたい。

 

同報告書によれば、本格的な人口減少社会を目前に控え、右肩上がりの住宅需要を前提とした住宅政策には抜本的見直しが必要であるとして(丁度、公庫・公団の廃止等に伴う制度変更の時期でもあるので、これを機として)、今後の住宅政策は量的拡大を目ざすのではなく、住生活自体の質の向上をはかる必要があると位置づけた上で、4つの基本理念を提言する。

1つ目の理念は「良質な住宅ストックの形成」にあるとして、「良質な性能」の住宅、「良質な住環境」にある住宅、「良質な居住サービスを享受できる」住宅が、数多くストックされている社会を目ざす、という。

2つ目の理念としては、ライフステージ、ライフスタイルに応じた多様な居住ニーズに応じた住宅が手に入る「市場」を用意すること、という。

3つ目の理念は、良質な住宅を作り、その資産価値の維持向上に励むようインセンティブを与え、社会全体で住宅が資産として活用される市場を形成すべきであるという。

4つ目の理念は、市場で自力で住宅を確保できない者のため、公営住宅や公的賃貸住宅、民間賃貸住宅の活用により、住宅セーフティネットを一層強化重層化するという。

そして、これら4つの理念による住宅政策が着実に推進されることを確保するため、分かりやすい成果指標を設け、5年毎にその達成を確認したり、その計画の見直しをしたりしていくとのことである。

一見する限り、この4つの理念はいずれも万人の納得しうる内容のものと言える。よって、これら理念に基づく住宅政策には、総論としては大賛成であり、大いに積極的に推進してもらいたい政策と考える。

 

しかし、問題は、この報告書が正しく位置づけているように、「我が国の住宅や住環境の質は、依然、国際的に見ても低水準であり、・・・世界に誇れ、後世に残すに値する、魅力ある住生活が実現している状況にあるとは言えない」との指摘にある。つまり、この指摘をどう評価するのか、言い換えれば、昭和41年に制定された住宅建設計画法にもとづき、5年毎に住宅の量的拡大をはかってきた政策は、実は、良質な住宅の生産を阻害してきたのではないか、という問題提起である。その原因分析が全くされていない同報告書はモノ足らないし、再び同じ過ちを犯す虞がある、と指摘出来るのである。

これは私見になるのだが、もともと目標とする住宅戸数を掲げ、官民あげてこれを実現しようとする住宅政策のやり方そのものが曲がり角にきているのではなかろうか。仮に住宅基本法を制定したとしても、今まで同様のやり方で、「良質住宅」の成果目標を掲げ、官民あげてこの目標達成を目ざすのでは、「金太郎あめ」のような、同種の「質」の住宅が出来上がるだけで、これまた本当に「良い(品質の)住宅」の実現に寄与しないのではないだろうか。

そこで、これまでの住宅建設計画法の下では、良質な性能の住宅や、良質な住環境や、良質な居住サービスの享受ができる住宅が出来てこなかった原因を、是非とも分析してもらいたいと思う。それを踏まえたうえで、その原因を除去し、改善したうえでの住宅政策の提言が必要なのではなかろうか。この報告書では、今までの住宅政策を量的拡大から質的向上へと変更したから、明日からは品質の良い住宅が生産されると、単純に考えているようで心配である。

 

次に、この住宅政策は、住宅の商品化を目ざし、住宅そのものが流通や市場の原理により支配される社会を目指しているもので、まさに規制緩和策の流れの一つと位置づけられるものである。だとすれば、市場で強い者には便利で使い勝手の良い制度(優良資産の有効活用が可能)となるが、弱い者にとっては居住するための唯一の住宅さえ簡単に失うことになりかねず、路頭に迷う人々が続出するような事態も想定される(今までは、中古住宅が流通しないため売却までに時間を要し、その結果、多重債務者も依然として当該住宅に住み続ける事が出来たが、これからはそれも出来なくなる)。

その意味では、今まで以上にセーフティネットの必要性の強くなることが予想できるわけだが、この報告書ではどのようなセーフティネットを作るのか、具体性に欠けており、従来からの延長のように安易に考えている点で問題がある。けだし、今までの社会福祉政策の対象となるような階層でもないし、人数も極端に増えてくるのではないかと予想されるからである。

 

次に、「良い建物」について、報告書では品確法で定めた性能規準のやり方をもち込む考えのようであるが、これも適正に評価できる機関がなければ、結局は評価機関の便宜のため画一的仕様を取り決めざるを得ず、これに適合するものだけが良い品質と位置づけられるにすぎなくなる。しかし、これでは同種の仕様(品質)の住宅が出来上がるだけで、まるで「金太郎あめ」のような住宅ばかりとなってしまうのではないか。むしろ「良い建物」とはどのような建物なのか、ということ自体が激しい競争で問われるような仕組みが必要ではないか。そうすることで、施主や消費者側が真に求めている「品質」の住宅が、業者間の競争原理のもとに実現されるのではないかと考える。ところが、報告書のように、官の側で予め品質(仕様)を決めてしまっては、業者の側は、これさえクリアすれば良いとの考えから品質の向上は望めないのではないか。これは、住宅建設計画法の下で、官の計画した数の住宅を作ればよいという考えの下で、消費者のニーズを考えずに作って、後は官民あげて販売に血道をあげてきた、今までのやり方を踏襲するだけで、全く同じ過ちに陥るものと指摘できるのである。

特に、性能が確保されているか否かを、都度評価する制度を導入したとき、実際には安価にかつ短時間に評価するよう強いられるため、自然に画一的仕様の設定へと流れる可能性が高い。むしろ、建築士に性能を確保する設計をさせ、後日、仮に性能確保がされていないことが判明したとき、その責任を建築士に負わせる制度の方が、効率良い制度設計ではないかと思う。もちろん、現在の建築士の中から、より選別された一部の建築士に委せる方法に限定するなど、建築士制度の抜本的変更が必要とは思うが・・・。

 

次に、良い建物を考えるとき、躯体の耐久性や、住宅の快適性についての考え方をもっと積極的に取り入れるべきである。地震や火災からの安全性についての配慮も必要であるが、それだけでは十分とは言えない。特にコンクリートの性能が不十分な点をどうするのか、外断熱の採用を考える必要はないのか、窓の性能、カビ、ダニの問題についても、もっと突っ込んだ議論をしないと、真に「良い建物」は出来てこないと考える。

 

結局、住宅基本法によれば、建物の性能のうちのいくつかの面では「良い建物」が作られ、「良い街並み」が実現できるかもしれないが、国民が真に欲する「良い建物」や「良い街並み」は実現できないように思える。

それは全て、官が決めたことを民が実行すればよいといった方式に問題があるからである。むしろ、我々が議論してきたように、良い建物と言えるための諸要素や各種理念を掲げ、その実現の方法については、出来るだけ民の創意工夫にまかせ、官は補助的な規制や、制度的な保証を実現していくべきであって、自らが計画して、その成果の確認をするような、計画経済的な方法は控えるべきではなかろうか。

その意味では、建築に関する基本理念を提示するだけのシンプルな「建築基本法」を制定するべきとの、我々の考えの方を採用すべきであると考える。

以 上

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