平成18年2月12日

 

中間報告(案)を読んで

 

弁護士  竹川忠芳 

 

 

昨年11月にプレス発表され問題となった姉歯事件を機に、国交省の社会資本整備審議会建築分科会に基本制度部会が設置され、昨年12月より5回にわたり、建築確認、検査制度の今後のあり方について議論を行い、本年1月30日に「建築物の安全性確保のための建築行政のあり方について」と題する中間報告(案)が発表された。

その内容をみると、姉歯建築士の偽装構造計算書で簡単に建築確認が下りてしまった点を問題にして、その再発防止策だけが議論されている。その結果、建築確認手続や関係諸機関の指導監督を厳格化していくとの案となっている。

しかし、これは姉歯事件の本質を見極めようとする態度に欠け、現象ばかりに振り回された、きわめて近視眼的な見方と言わざるを得ない。

むしろ、姉歯事件の本質は何かを議論すべきであり、私は少なくとも以下の二点を指摘しておきたい。

一つには、建築基準法は最低規準にすぎないのに、社会的にはこれがスタンダードであるかのように取り扱われている点である。

現在の建築生産現場では、建築基準法に定める最低基準の建物を建てればよいとして(スタンダード化)、後はコスト競争で仕事を得ようとしているのが実態である。これが高じて、コスト競争で勝利するため考えついた手が姉歯事件の構造計算の偽装である。つまり、ここに至って、ついには違法に建築確認を取得しようとする業者が現れたわけである。もちろん日本全国を探せば、このようなことを思いつくのは姉歯氏だけのはずはない。一人が気づいたということは何人もの建築士がやっている可能性がある。また、姉歯事件では、設計段階で基準法違反の設計をしたわけだが、施工段階でこれをやっている業者は沢山あるはずである。こうして、コスト競争に勝つためには、設計或いは施工で建築基準法違反をやるしかないという実態が明らかになったと言える。

奇しくも、姉歯事件は我々に対し、眼に見える形で、この問題を投げかけたと見るべきであろう。

だとすると、建築確認等を厳格化したところで、姉歯事件類似の偽装に対処することは出来ても、他の手段を考え出されれば同じ問題が発生することになり、結局はいたちごっこに終わってしまうこと必至である。他方で、仮に中間報告案が防止策として有効であったとしても、最低基準の建物ばかり出来てそれでよいのかという問題が残ることになる。つまり、建築基準法の存在自体が社会的有用性を喪失しているので、これを廃止して「良い建物」を建てるよう誘導するような法律が新たに求められていると言える。

もう一つの視点は、建築基準法制定当時と今日では、建築生産の現場が全く異なってきており、当時の立法の趣旨が、現在の法制度下では十分に機能していないという問題である。

即ち、戦争で焼け野原となった国土を復興していくにあたり、当時の為政者は昭和24年に建設業法を制定し、昭和25年に建築士法と建築基準法とを制定している。これは新憲法の下、市民中心の建築法制という考え方から、財産権的制約を最小限にすべく、建築基準法では許可制度ではなく確認制度とされ、「最低の基準」だけが定められたわけである。従って、市民である「施主」は原則として自由に建物を建てることが出来るわけであるが、他方で、「施主」は建築に素人であるため、これをサポートする意味で建築士制度を設けて設計監理を担わせ、また、悪質業者を締め出すため「建設業法」で免許制度を設けたわけであった。つまり、ここでは「施主」は自ら「良い建物」を建てたいと希望しているとの前提に立ち、建築士によるサポートと、技術力ある免許業者の施工とで、目的は十分に果たしうるとの認識だったと言える。

ところが、マイホーム政策の影響や高度成長期を経ることで、自分のために建物を建てる「施主」ではなく、他者へ売却するためだけに建物を建てる「新しい施主」(デベロッパー)が出現してきたわけである。この「新しい施主」は、同業他社との競争に打ち勝つために、また、利益を重視するため、当然に、建設コストを下げることや売上げの増加を目ざすことで、大きな利益を上げることを目的としている。これは資本主義社会での会社組織としてはごく自然なことで、当たり前のことでもある。ここに至って、「新しい施主」は必ずしも「良い建物」を建てようとするのではなく、「利幅の大きい、儲かる建物」を建てようとするため、建築士のサポートや免許業者の存在は「良い建物」を建てるための制度として機能するのではなく、逆に悪い建物を作ることに協力しかねない制度と化しているわけである。

このことを目に見える形で提示したのが、姉歯事件であり、姉歯氏を取り巻くデベロッパーやコンサルタントの関わりの問題と言える。

つまり、昭和24年〜25年当時の状況と現在では、全く建築生産現場の状況が異なっているため、「良い建物」を建てるという意味では、建築基準法と建築士法、建設業法による対応だけでは無理のあることが明確になったわけで、今後は新たな視点からの立法が必要とされていると見るべきである。

そこで、新たな立法に際して考慮すべき点を以下にいくつか指摘しておきたい。

一つには、この「新しい施主」に対して免許制度を実施して、厳格な指導監督をすべきである。特に、販売にあたっては、詳細な説明義務を課し、設計・施工過程についての文書等による説明はもとより、設計図書や契約の仕方などを厳重に指導すべきである。そして、瑕疵担保責任は無期限とし、製造物責任法の適用対象とすべきである。

二つには、金融機関の責任を明確化すべきである。デベロッパーへ融資した金融機関は、融資するにあたり、厳重な検査義務が課されておかしくない。けだし、建物を創出するための資金を提供した金融機関は、デベロッパーが消費者に売却することで融資金の回収をはかるわけであるから、単に一般的な運転資金を貸付けた場合と趣を異にすると考えられるからである。仮に融資して建てた建物が売却前に欠陥だらけで売却できないとしたら、その危険は金融機関が負担することになる。ことの道理として、売却後も責任を負担して当たり前と言える。こうすることで、金融機関も建物検査のためのノウハウを真剣に蓄積するはずである。

三つ目として消費者教育の徹底を図る必要がある。

これらを考慮に入れた新しい「建築基本法」を作るべきではなかろうか。

以 上

 

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